自由度の高いデルフォニックスの手帳。先の予定管理だけでなく、日記として使っている方も多いようです。1行日記や絵日記、気に入った小説のフレーズを書いて残したり、体調の記録をしたり。大抵のことはパソコンやスマートフォンで簡単に出来る時代に、日々の記録を紙に綴る意味とは何なのでしょうか。今回は、そのヒントを日記がキーモチーフとなっている物語から、紐解いてみることにしました。ストーリーの中で重要な役割を担う日記には、日常生活では気付きにくいような真価が詰まっていると思うのです。
日記が登場する作品は、多数ある。本文が日記調で描かれたものや、交換日記を題材としたもの、実在した人物の日記。その多くは、「書かれた内容」がストーリーの肝となるが、今回は「日記を書くという行為」を描いた作品『違国日記』を取り上げ、その動機の部分を考えてみたい。
小説家の槙生と、両親を失った姪・朝の共同生活を描いた漫画『違国日記』。他人と生きるのが苦手な槙生(35歳)。そして「自分とは何か」を探している年頃の朝(15歳)。お互いを理解し合えない2人だが、共同生活を通して互いに尊重し合いながら「他者との関係の中にある、自らの生き方」について考えていく。
この作品において日記を書くことは、物語を貫く「他者との関係の中で、自分の生き方を見つける」というテーマの象徴だ。「違う国を生きる者たちの日記」を覗き見している、そういった意味での『違国日記』。そのスタンスは、物語序盤ですでに示されている。
両親を失った直後、悲しい?という問いにわからないと呟く朝へ槙生は語りかける。
”あなたの感じ方はあなただけのもので、誰にも責める権利はない”
”日記を つけはじめるといいかも知れない”
”たとえ二度と開かなくても いつか悲しくなったとき それがあなたの灯台になる”
ここでの日記は、先にも述べたように「これからそれぞれの“日記”を描いていきます」という核の提示でもある。そのため、第一話は数年後の朝と槙生の生活シーンから始まり、以降は時折朝の独白を含みながら、日記を読み返すように描かれている。大きな事件や分かりやすい転換はない。ただ続いていく日々と他者とのコミュニケーションの中で、自然と生まれた繊細な心情の動きを描き、私たちはそんな記録を覗いている。
「あなたの感じ方はあなただけのもの」という槙生の台詞は、この後も朝の心にあり続ける言葉だ。文字で読むとその通りなのだけれど、忘れてしまいがちなこと。空気を読んで「感じなかった」ことにしたり、もやっとした違和感に目をつむったりした経験が、誰もが一度はあるのではないだろうか。
自分の感情をまっすぐに自覚して残すためのツールとして、槙生は朝へ日記を勧めたのだ。
日記の書き始めはハードルが高い。思ったことを書こうとするも頭の中でうまくまとまらず、まっしろな紙を前に手が止まってしまった、といった経験はないだろうか。
日記を始めることにした主人公、朝も同様だった。
”日記は、今 書きたいことを書けばいい 書きたくないことは書かなくていい ほんとうのことを書く必要もない”
その言葉を受けて、朝は「ぽつーん」という心象を砂漠の絵にして描く。
”お父さんもお母さんも もういない いないんだーと思うと 砂漠のまん中に放り出されたような感じで ぞわーっとする”
”大人にもそんな 砂漠はあるのだろうか”
まだ中学生。部活・洋服・髪型…これまではほとんどの選択を「母の言う通りにすれば大丈夫」と思ってきた。そんな中突然砂漠に放り出され、現実を受け入れるとともに人生を自らの意思で選択していかなくてはならない。なにを道標とすればいいのか。自分で見つけるしかない。どう見つければいいのか。自らの素直な感情と向き合うしかない。
「ほんとうのことを書く必要もない」とは、「嘘を書け」という意味ではない。感情を整理し言語化するのが難しいとき、心が書きたくないというのなら、そんな自分に誠実であれ。そういったメッセージなのだ。
この作品において日記は他者との関係の中で、自分の生き方を見つけることの象徴だと述べたが、物語を抜けた私たちの生活の中でも日記を書く意味は近いところにあると感じる。現代社会における周囲との関わりの中でこそ、自分の素直な感情とゆっくり向き合う時間が必要だと思うのだ。
はるか昔から、人々は出来事や感情を日記に綴ってきた。しかし仕事や生活が複雑化するとともに、「起きたこと」よりも「これからのこと」の重要度が上がり、振り返る余裕が無くなっているように感じる。
現代では生き方の選択肢も広がり、敷かれたレールに乗っていれば安泰というわけでもない。自分の頭で考え、人生を選択していく必要がある。「自分の感情は自分だけのもの」であり、「他者と本当の意味で理解し合うことはできない」と分かっていても、絶えず目に入ってくる他人の人生に気を取られて選択はより難解になっている。
作中では朝を「自分はどう生きていくのか」と、もがくキャラクターとして描いているが、この問いは今、顕著に多くの人が抱いている命題なのではないか。誰しもの心の中に大なり小なり、朝がいるのだ。
「ぽつーん」を砂漠の絵にするように。
毎日書かなくてもいい。一言でも雑でも、何かを貼ったり心象をそのまま絵や図にしてもいい。
紙に向かう時間は孤独ゆえ、自分に集中することができる。周囲や先を見ながら頑張るのもいいけれど、ただそこに、自然と生まれる感情を通して自分に向き合ってみる時間。
気軽に始められて、書いたことが質量として残る日記は、その第一歩としてとても有効なツールだと思うのだ。
ヤマシタトモコ/『違国日記』特設サイト (shodensha.co.jp)
「日記」におすすめのデルフォニックス手帳
デルフォニックスの手帳には、日記にもぴったりなシリーズが多数あります。
文字もイラストも書けるブロックタイプのウィークリーや、長年定番として愛されるファブリックカバーのリネン、日付にとらわれず自由に書けるメモタイプのロルバーン。
自分と向き合う時間を共に過ごす1冊。選んでみてはいかがでしょうか。
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